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創作掌編小説・童話

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私が死んだら海に帰して

「私が死んだら海に帰して。」
妻は、冗談ともつかない笑顔で僕にそう言った。
一回りも年下の若い妻が、僕よりも先に死ぬなんて想像もつかなかった。
僕の死水を取ってくれるんじゃなかったのか。

妻の癌が見つかったときには、もう手遅れで予命1ヶ月という状態だった。
手術も出来ず、抗がん剤でさえも、苦しみを長引かせるだけだという理由で適応されなかった。
そうして、いきなりきた激烈な痛みをモルヒネで抑え、眠り続ける妻の寝顔を呆然と眺めていた。
そうしている間にも、妻の命の砂は僕の指の間から零れ落ちていったのだ。
妻は眠るように35年の生涯を閉じた。

ハナミズキの花が咲き誇る頃に、妻の四十九日が終わった。
僕は、乾ききったキッチンの片隅で、妻の骨壷を抱え、文字通り途方に暮れていた。
日が登り、また沈み、部屋がブルーに染まり始める頃が一番辛い。
僕は、この時間にキッチンで立ち働く妻をほとんど知らない。
どんな姿で、どんな仕草で、どんな気持ちで、僕のための食事を作ってくれたのだろう。
砂を噛むような想いが、ギリギリと胸を締め付ける。

友人がきて、会社の弔問客がきて、親族がきて、僕を代わる代わる慰めたり、激励してくれた。
でも、誰に僕の気持ちがわかると言うのだろう。

僕をそっといておいてくれ。
僕は、ただ妻を失った哀しみに暮れていたいのだ。

真っ青な空が見えた、ある日、窓を開けると風が変わっていた。
(こんな日には妻は海に行きたがった。)
そう思うと、矢も立てもたまらず、妻の骨壷を、生前好んでいたエルメスのスカーフでそっとくるみ、車を出した。
渋滞する高速道路を抜け、よく二人で出かけた小さな湾にたどり着いた。
海は穏やかに凪いでいて、波がちゃぷんちゃぷんと小さな音を立てていた。沖には、いくつも舟影が見え、ウインドサーフィンの帆が白く輝いていた。
(海日和だなあ。なぁ、サキ。)
でも、妻からの返事はない。
僕は、膝を抱えて砂浜に座り込み、エルメスのスカーフで包まれた妻に頬を寄せた。
目を閉じると、まぶたに日差しを感じた。目の裏がほの赤く染まった。生きている僕の血液はぐるぐると回っているのだ。
でも、妻は、サキはもういない。

「・・・サーキ、サキ!」
すぐ後ろで聞こえた、見知らぬ声が僕をぎょっとさせた。
振り返ると、よちよち歩きの女の子を追いかける若い母親がいた。サキと呼ばれた女の子に追いつき、抱き上げた母親のその笑顔には、幸福が満ち溢れていた。
砂浜に座り込んでいた男が突然立ち上がり、自分たちをじっと見つめているのに気がついた、母娘連れは怪訝そうな顔をしながらも会釈をしてくれた。
きっと、僕はその時、真っ青な強ばった表情をしていたと思う。
少し離れたところで、また小さな女の子は遊びはじめた。僕は、その姿を横目で見ると、そっと妻の骨壷をくるんだエルメスのスカーフを開いた。
骨壷が傾き、かすかな音を立てた。
(サキ、さあ、帰ろうか。)
象牙のような色をした小さな欠片を掌にのせると、そっとキスをした。
引いては寄せる波を見ながら、僕は小さくなった妻の欠片を握りしめた。
息を止め、腕を大きく振りあげると、僕は妻を海に帰したのだ。
凪いだ海の表面に、妻の小さな骨の欠片は吸い込まれていった。
波が寄せては返し、妻の欠片をもっともっと小さく削っていくだろう。
そして、この浜の砂の一部になっていく。

もう、僕のところへは戻ってこないんだ。
でも、僕が何度でも会いに来よう、この海に。
サキと呼ばれる小さな女の子も、いつか君のように笑顔の素敵な女性に育つだろう。

僕は、ぶかぶかになってしまったジーンズを引っぱり上げ、尻の砂を払った。
振り返ると、後ろで、サキちゃんと母親が楽しそうに遊んでいる。
(幸せになってくれ。)
心の中でそう呟いた。
僕のサキの代わりに、たくさんたくさん幸せになってくれと、そう願わずにはいられない。

僕は、スカーフの包みをまたしっかり抱えると、何ヶ月かぶりの笑顔で、その二人に頭を下げた。
ぬれた砂に、僕の足跡が一歩一歩、深く刻み込まれていく。





END


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洸

Author:洸
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◆Date:2007年05月
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