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創作掌編小説・童話

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雨と口紅

彼とのセックスは、いつも街の安ホテルだ。
昼間なのに、隠微な雰囲気の暗い部屋で、私と彼は言葉を交わさずにお互いの身体を確かめ合う。
何故、二人とも会いたいと思ってしまうのか、分からない。
陽のさえぎられたよどんだ闇の中で、入り口のドアの上の非常口を示す緑のランプだけが光っている。
彼の表情は、明かりの陰になって見えない。肩の線が、非常灯に照らされて浮かび上がる。
私の顔は、きっと不自然な緑色に染められて彼の目にうつってるはずだ。
私が快感のあまり目を閉じると、そこには彼のオスの気配だけが漂っているのが分かる。
セックスのあと、私たちは寄り添って眠ったりしない。
私は、身体が彼に見えないように、毛布を巻きつけ、寝転んだまま煙草に火をつける。
彼がそこに、自分の煙草を唇ごと差し出す。
私は、その時だけ、優しい気持ちになって、彼の煙草に丁寧に火をつけてあげる。
そして、薄暗い空気の中で漂う、紫の煙の行方を目で追いながら、私は激しく後悔をはじめる。
(何故また逢ってしまったのか。)
と。
逢えば、その空虚な関係にうんざりし、逢わないでいると、寂しさのあまり、心の平衡を失うほどだ。

重い身体を引きずるようにして、彼の後からホテルの外に出ると、空が一面に濃いグレーの雲で覆われていた。
(夕立が来るのかしら。)
私と彼は、まるで他人同士のように、近くのターミナル駅に急いだ。駅ビルに駆け込んだとたん、大粒の雨がアスファルトを叩き始めた。
暴力的な雨音を背にして、一階のショッピングモールへ足を入れた。外の荒天が嘘のように店内は明るく、清潔だった。
私は、自分の身体から、薄汚れた安ホテルのセックスのにおいが漂うような気がした。
彼は、ふらふらと歩き回る私の後ろを、距離をとってついてくる。
突然の大雨に、お互いが帰るタイミングを失ってしまっていた。

ふっと目の前に、香水のムエットが差し出された。
「新作の香水です。よろしかったらお試しください。新作の口紅もございます。」
私は、何となく店員のすすめるままに、化粧品のカウンターに腰をおろした。彼はその横で、化粧品のサンプルを見るともなく見ている。
私の顔に、鮮やかな口紅で彩りが加えられた。
セックスのあと、ろくに化粧も直してこなかったことに気づき、私は小さく肩をすくめた。
そして店員の促すままに、デコラティブな小さな鏡を覗き込んだ。
そこに映し出された私の顔は、店内の煌々と輝く光と、艶やかな口紅のせいで生気を取り戻し、幸せな女のようだ。
「お連れ様、いかがですか?」
店員の声で、所在なさげにボーっとしていた彼は振り返った。
私の顔を認めたとたんに、彼に目に光りが入ったように見えた。
「・・・うん、いいよ。」
私は、自分の唇が幸福感で緩むのを感じた。
「この口紅を。」
店員は、小さな口紅を綺麗な包装紙で何重にも丁寧に包み込んでくれた。私が財布から紙幣を取り出そうとすると、彼が横からすっとカードを差し出した。
「支払いはこれで。」
彼が、私のために口紅を買ってくれたのだ、と言う事を理解するのにしばらくかかった。
私は、お礼も言えずに、先にたって歩き始めた彼の後を小走りで追いかけた。

大雨は、ますます激しさを増しており、外を歩いていく人々はずぶ濡れだ。日が暮れてきていて、あちこちのビルに明かりが灯り始めた。
(もう帰らなくちゃ。)
私は、横に立つ彼を見上げて、自分の胸元で小さく手を振った。
彼も(うん)と頷いた。
ちょうど彼の乗る地下鉄のの改札口の近くにきていて、彼はそのまま私と別れた。
私はいつも違う浮き立つような気持ちで彼の背中を見送った。
地下鉄のホームへ降りる階段を降り始めた彼が、ひょいと振り返り、笑顔で私に左手を振った。
キラッと私の目を射した光りは、私の心までも突き刺した。
彼の左手の薬指にピカピカと光る指輪。
あの安ホテルで、私の身体を弄っていたときには、なかったものが、今、彼の指に光っている。
私の両目は想いもかけず、涙を溢れさせた。

たぶん、私はもう彼に会わないでいられるだろう。
小さな口紅の包みをぎゅっと握りしめると、私は手を振る彼に背を向けた。

外の大雨はまだ続いている。
私はその中へ、傘を差さずに足を踏み出す。


END
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洸

Author:洸
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◆Date:2007年06月
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